本当にすごいなぁ。
努力家で頭がよく、人望も厚い。本当にすばらしいですね。
池田敏雄という人物を端的に表するならば「成績優秀、スポーツ万能、奇人変人」というところか。父親は放浪の旅に出てしまったため、母親の女手一つで育てられている。幼少期から母に算術(算盤)をみっちりと仕込まれたおかげで大の数学好きであり、趣味の囲碁ではルールの問題点について得意の数学を駆使して指摘、この功績で六段(さらに死後に七段)を与えられたほどである。柔道二段、バスケットボールは国体出場(全国優勝を経験。池田はエースであり、チームの司令塔でもあった)とまさしく文武両道であった。
「あたりや」
大岡山一度のめり込むとどうにも止まらない性格は、彼の半ば伝説化された奇行となって伝えられている。池田が何かアイデアを考え始めると、職場だろうと自宅だろうと、それどころか同僚の家であろうと、ひたすら考え続けてしまったという。ついには出社することさえ忘れてしまうが、夕方になって突然会社にやってきて、今度は会社から帰らずに数日考え続けたというエピソードはあまりに有名である。数日出社しないなどということはざらであり、日給制がまだ普通であった当時、これでは池田の給料が支払えないと困った会社側が、池田を支持する同僚の訴えを聞き入れて、彼だけ月給制にしたという話まで残っている。池田が在籍していた当時の富士通にはこうした奇行を受け入れる社風が存在し、池田の天才的能力を生かせるだけのメンバーが揃っていた。東京目黒区、大岡山のトンカツ屋「あたりや」をプロジェクト・ルームとしそこに部下を集め、開発を進めたエピソードは有名。
「富士通に池田敏雄あり」と言われた最初の出来事は、電電公社に導入した交換機が稀にダイヤルを受け付け損なうというトラブルが発端であった(このトラブルにより、富士通は在日米軍から電話機の納入を拒否された)。池田は早速ダイヤルの動作不良の原因を数学的に解析し、その発生確率から解決方法まで見事に示したのである。その後のより確実な交換機用電子式ダイヤル速度測定機の開発がきっかけとなって、池田とコンピュータとの関係が始まったと言われる。そして彼はその強烈なキャラクターを武器に国産コンピュータの地平を切り開き続けたのである。
しかし、こののめり込んだら止められない性格は、長年にわたって彼の身体に無理をかけ続けていたと思われる。特に、アムダール社との提携における、非常に個性の強いアムダール博士との調整は困難を極め、業務上のストレスに加え、頻繁な米国出張による航空機での往復は肉体的に相当の負担があったと思われる。ついに池田は羽田空港でカナダの提携先の社長を出迎えた時に突然倒れ、そのままくも膜下出血のため51歳の若さでこの世を去ってしまった。 社葬において経団連記者クラブの記者代表が弔辞を送ったが、「天馬空を行くが如き活躍」と二度繰り返した後は感極まってしまい、それ以上言葉を続けられなかったという。またアムダール氏は、葬儀の席で池田夫人にアムダール社の株の一部を譲渡している。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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